「―――姫・・・・」
―――嫌い?どうして・・・?なぜ・・・・?
問い詰めたいのに・・・・その言葉は司の中で、鉛のように重く沈みこんでしまい、ショックのあまり開いた唇はそのまま固まった。
そんな司の心を見透かすように、姫宮は冷たく薄い笑いを唇に浮かべている。その表情は今まで司が見たどんな姫宮の顔とも違う別人のようだった。
「―――テレビでも、スクリーンでも、いつも、輝いてた・・・・それを見る度に、俺はいつも複雑な気分で―――・・・・」
「―――なんの話だよ・・・・?」
「なんの・・・・?そうだね、司には関係のない話だよね・・・・」
姫宮から、初めて「司」と呼び捨てにされたことにも気付かぬほど、司の頭は混乱していた。あんなに優しい表情しか見せなかった姫宮のものとは思えないほど、今の顔はまるで、取り付く島も無いほどに冷たく、近寄り難いものに豹変していた・・・・。
そして、その後にその整った唇から、淡々と語られた話は、俄かには司にとって信じかねるものだった。
「―――俺の母親は、若い頃、女優だった・・・・。売り出し中の新人だった二十歳前後の母は、当時すでに有名俳優だった小河見裕と不倫してた・・・。だけど、母が妊娠し、スキャンダルを恐れたお前の親父は、当然のように母を捨てた。それだけじゃない・・・・。一人でこっそり子供を産んだ母から、いつか事がバレることをおそれた小河見裕は、雑誌記者に金をやって、あることないこと汚い記事を書かせて、母が二度と女優として舞台に立てなくなるよう仕組んだんだ・・・・。」
「―――・・・・・」
「・・・母は、俺を産んですぐ自殺した。女優生命を絶たれたことに絶望して・・・・。俺は祖母に育てられた。今の話も、高校の時に祖母から聞かされた・・・。」
「―――・・・・まさか・・・・そんなことが・・・・・?」
姫宮が、嘘や作り話をするとは思えなかった―――けれど、そんな話をすぐに信じろというのも無理な話である・・・・。その一方で、あの父ならやりかねない事、とも思う。
しかし・・・それが真実であるなら、もうひとつ、とんでもない現実が待っているのである・・・。
即ち―――司と姫宮は腹違いの兄弟・・・・。
―――なにかの冗談であってほしい・・・・・
司は、こめかみにズキズキと鈍い頭痛を感じながら、必死に祈った。
―――これは・・・・悪い夢・・・・
司は泣き出したい思いに駆られながらも、必死に食い下がった。
「もし・・・それが、事実だったとしても・・・。俺が・・・お前に憎まれる筋合いはないだろう・・・・!?―――違うか?!」
「―――・・・・」
姫宮は、ふと寂しそうな表情で顔を曇らせたが、すぐに司を睨み付けた。
「おまえなんかに・・・会わなきゃ、よかった・・・・」
「―――どういう、意味だよ?」
「まだ、分からないのか・・・?お前に初めて会った時、あれは偶然なんかじゃない、わざとお前に声をかけたんだ。でも、勘違いするなよ、俺の母親を捨てた最悪な男の2世がどんなヤツか、一度実物を見てみたかっただけだ。やっぱり思った通り、我が儘でなりふり構わない自分勝手なお坊ちゃんだった・・・・。今更だけど、オーディションなんて・・・本当は、どうでも良かった。なのにお前は、お節介にも監督に口をきいて、こんなとこまで俺を引っ張ってきた・・・・。おまえ、何の目的か知らないけど俺に恩でも売りつけたつもりか?最悪だな・・・」
「―――そんなつもりじゃないっ・・・!!なら、訊くけどな、それなら・・・なんで最初っから断らなかった?来たのはお前だ、俺が強制したわけじゃねえっ!!」
そう大声で言い放ち、負けじと司も姫宮を睨み付ける。
頭には血が上っているのに、その一方では冷静な司がいて・・・
―――怒った顔も、やっぱ綺麗だな・・・・
などと、相変わらず思っている。
―――まてよ。怒った顔の方が好みかも・・・・
そんな呑気なことを考えてる場合では無いこと位は先刻承知なのに、司の思考は留まることを知らなかった。
―――困った顔も、泣いた顔も、綺麗だろうな・・・・
「ここに来たのは、金が欲しかったからだ・・・・それだけだ。その辺で着ぐるみでバイトするのとは桁が違う・・・・。俺はお前と違って、こんな贅沢な部屋に泊まれる身分じゃないからな。生活がかかってんだ・・・」
「それなら、泊まればいいだろう?」
「―――・・・?」
「兄弟なんだろ・・・?だったら、これからはずっと一緒に居ればいい」
「―――はあ?なに、言ってるんだよ・・・?」
「良かった・・・。俺、ずっと欲しかったんだよな、兄弟・・・・」
「・・・おい。頭大丈夫か・・・?」
「―――アタマ?そうだな・・・もう、かなりイカれてるかもな・・・・」
司は自嘲するように笑い出した。
どうせ、嫌われ、憎まれているのなら、これ以上気取る必要すらないじゃないか・・・。
兄だろうが、弟だろうが、そんなもの知ったことか・・・―――!
それまで、押さえつけていた司の中の何かが、諦めというキーワードによって爆発した。
―――やっと、好きな人が出来たのに・・・・すでに出会う前から憎まれてたなんて・・・・笑い話にもなりゃしない・・・・
「くそったれっ!!!」
司は突然、室内が共音で揺れるほどの大声を張り上げると、目の前にいる姫宮に飛びかかった。
「―――アッ・・・」
いかに運動神経が発達していようと不意打ちには叶わず、姫宮は無防備な体勢のまま床に押し倒された。しかしさすがにスイートルーム・・・、柔らかい高級絨毯が敷いてあったので、その衝撃は吸収された。
「・・・おいっ!?こら・・・・なにをやって―――」
抗う姫宮を、司はなんとかして押さえ込もうと必死に全体重をかけ、力を込めた。
しかし・・・・大の男を押さえ込むためには、実際かなりの力がいる。しかもその相手が、運動神経抜群の姫宮では、尚更にその試みは無謀を極める・・・・。
司の味方は、今や地球の重力のみだった―――。
ほどなく姫宮は、器用に司の下から抜け出すと、司の腕を逆にひねり上げた。
「・・・イ、イデデッデデ・・・・ッ!!ギブッ!ギブッてば・・・!!」
情けなく悲鳴を上げた司の腕を、姫宮は漸く解放すると、呆れた顔で言った。
「ったく・・・・。なに考えてんだよ、いったい?」
「俺がなにを考えてるか、だと?やらせてくれたら、教えてやるよっ!」
痛めた腕を擦りながら、司は精一杯の悪態をついた。
「―――はァ?知るか。俺は帰る」
肩を竦めてくるりと背を向けた姫宮に向かって、司は懲りもせずタックルを食らわせた。
「―――・・・おいっ!」
再びの不意打ちで、うつ伏せに倒された姫宮は、いい加減に堪忍袋の緒が切れたのか、背後に乗っている司の脇腹に、容赦なく肘鉄を食らわせた。
「ぐあっ・・・・!」
強烈な痛みに耐え切れず、司は腹を押さえ絨毯を転げまわる。
やがて、胎児のように身体を丸めて、動かなくなった・・・・。
姫宮は、多少やりすぎたと思ったのか溜息をつきながらも、傍にしゃがみこみ心配そうに司の顔を覗きこんだ。
「―――もういい加減にし・・・・」
言いかけた姫宮の唇に、司は三度目の不意打ち・・・即ち、突然姫宮の後ろ髪を掴んで無理矢理キスをした。
「―――ンッ・・・・・!?」
・・・バシンッ!!
もの凄い音とともに、司の身体は一瞬にして部屋の壁際まですっ飛んだ。
頬に走ったあまりの衝撃の凄まじさに、司の頭は痺れて真っ白になる・・・・。
「―――姫・・・・・」
ぼうっとした頭で姫宮の方を見ると、姫宮は脱力したようにその場に座り込んでいた。
血の気の引いた青い顔をして、驚きと戸惑いと嫌悪が入り混じったような複雑な表情を浮かべている。
その顔を見た瞬間、司は急激に自責と後悔の念に襲われた。
―――終わった・・・・完璧に・・・・
司は俯いて、姫宮から発せられるであろう罵倒の言葉を覚悟して待った・・・・。
to be continued....